以前、バッテリー残量が見えないマウスを使っていて、ある日いきなり切れるのが嫌でした。そこでGPT-5.5 xhighに入力まわりの情報を追わせて、どこから残量を拾えるのかを一緒に探したことがあります。結果として表示まで持っていけたのですが、あのとき嬉しかったのは数字が見えたことだけではありませんでした。
自分のPCで起きていることを、自分で覗けた感覚がありました。Windowsを使っていると、見えないところは見えないままで我慢するもの、という空気がまだ少しあります。設定画面に項目がなければ終わり、公式が出していなければ諦める、という態度です。私はあれがあまり好きではありません。
壊れたら、どこを見るか
もちろん他人のサービスを勝手に壊していいとは思いません。ただ、自分が持っているPCの中で動いているソフトくらい、ログを見たり、通信を眺めたり、保存された設定を読むくらいは普通にやっていいはずです。むしろそこを遠慮しすぎると、道具との距離がずっと他人行儀のまま残ります。
最近のAIまわりを見ていると、その距離感がいちばん怖いです。画面が一度でも動けば満足してしまう人は多いですが、壊れた瞬間に急に無言になります。どこへ保存しているのか、何を送っているのか、どのファイルを消せば消えたことになるのか。その入口を知らないままでは、便利さだけ受け取っているつもりでも、実際には借り物を触っている感じが抜けません。
非エンジニアがAIに丸投げしてアプリを形にする話も増えました。眺めているぶんには派手ですし、最初の一回はたぶん楽しいはずです。けれど、少し設定がずれたとか、依存関係が壊れたとか、その程度のことで急に手が止まります。猫に小判という言い方は冷たいですが、私はわりと本気でそう思っています。
逆に、覗く癖があるだけでかなり変わります。ブラウザなら開発者ツールを開きますし、デスクトップアプリなら設定ファイルの置き場所を探します。SQLiteがあれば中身を見ますし、ただのJSONならなおさらです。大げさな解析でなくても、何が起きているかを自分の目で一度確認するだけで、そのソフトは急に自分の道具になります。
私は最近、AIには退屈な下書きやボイラープレートだけ渡して、本当に考えたいところだけ自分で持つほうが気楽です。フレームワークの流儀を一式抱えた巨大な便利さより、少し不器用でも中を見に行ける道具のほうが長く残ります。自分のPCの上で起きていることくらい、自分で追える状態を残しておきたいです。
たぶんこれは効率の話ではありません。所有の話です。毎日触るものが何をしているのかを、自分で少しずつ理解できるほうが落ち着きますし、嫌ならやめる判断もできます。自由に触れるものだけが、本当の意味で手元のソフトになるのだと思います。