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常駐プロセスは便利さの請求書だと思っている

新しいアプリを入れた直後、私はまず機能の説明より先にタスクマネージャーを開きます。何が常駐したのか、スタートアップに何が増えたのか、それを見ないまま便利さだけ受け取る気になれないからです。

少し嫌な見方だとは思います。けれど、Windowsで小さなユーティリティを何本か入れ直した週末に、その癖はもう戻らなくなりました。アンインストールしたはずなのに更新チェッカーだけ残るものがありました。通知を切ったのに、別の名前の常駐プロセスがまだ生きているものもありました。そういうのを一度見ると、便利という言葉に請求書が付いて見えるようになります。

消し方が先に気になる

私は、便利なアプリほど先に消し方を知っておきたくなります。入れる瞬間より、消す瞬間のほうが道具の性格が出るからです。設定ファイルを一つ消せば静かに去るのか、レジストリとスケジューラとスタートアップに細かく爪痕を残すのかで、道具の印象はかなり変わります。その違いは、使い勝手よりずっと記憶に残ります。

常駐そのものを悪だと言いたいわけではありません。ランチャーもクリップボード履歴も、常駐してくれないと困る道具はあります。けれど、常駐は無料ではありません。メモリを食いますし、通知領域を少しずつ濁らせますし、何より自分のPCなのに、自分が把握していないものが裏で息をしている感じが残ります。あれが私はあまり好きではありません。

たぶん、この感覚は性能の問題だけではないです。いまのPCなら、常駐が一つ二つ増えたくらいで目に見えて遅くなることは少ないと思います。それでも気になるのは、所有感の問題です。自分の机の引き出しに、知らない人が小さな付箋を増やしていく感じに近いです。机はまだ使えます。でも、触るたびに少しだけ気が散ります。

所有物なのに、触ってはいけない空気

私は、自分のPCのソフトウェアくらい自由に触ってよいと思っています。通信を見てもよいですし、設定ファイルを開いてもよいですし、必要なら挙動を追ってもよいです。自分で買って、自分で使っているものだからです。最近のアプリは、その前提をやんわり忘れさせる作りが多いです。設定画面に項目がなければ、それ以上は見るなと言われているような顔をします。でも、項目がないだけで、裏側まで触ってはいけない理由にはなりません。

AIまわりの道具を見ていても、同じことを思います。非エンジニアが雰囲気だけで便利そうなアプリを増やしていくと、最後に残るのは理解していない常駐と、消し方のわからない同期です。あれは自由さとは逆です。ただ囲われているだけです。少し冷たい言い方ですが、自分で見に行く気がないなら、結局は使いこなせないと思います。

だから私は、導入の速さより、後始末の静かさを見ます。更新通知が親切かどうかより、消したあとに何も残らないほうを信用します。華やかな機能一覧より、zipを置いて、いらなくなったらフォルダごと消せる道具に安心します。便利さに反対しているわけではありません。その請求先が、ちゃんと自分に見えている状態で使いたいだけです。

結局、私が欲しいのは高機能な支配ではなく、静かな従属です。呼んだときだけ前に出てきて、いらなくなったら黙って消える道具です。そのくらいの距離感のほうが、自分のPCをまだ自分のものだと思えます。

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